弥生の徳田です。
徳田弥生です。
弥生時代という名前は、現在の東京都文京区弥生にある向ヶ岡貝塚で新種の土器が発見されたことに端を発します。
とは言え、その土器が作られ、使われていた頃にはそれを「これは弥生土器だ」と思っている人は一人もおらず、「今は弥生時代である」と認識していた人も、誰もいませんでした。
今は「令和だ」と明確に認識できていて、記録にも残せるけれど、弥生時代の人が「そうは思ってなかったこと」のようなものは、現代にもあるはずです。
現代だからこそ、同時代を生きる者だからこそ、絶対に見えないレイヤーがある。
眼前の現象にだけ、惑わされがちな生活の中、「なんでそうなってるの」の解は検索すれば見つかる時代とは言え「どれを選ぶのが最短なのか」をこそ悩む時代。
選択するには、歴史があったほうがいい。
日夜不思議に思うなら、ご質問ください。
しんどい思いがあるのなら、ご相談ください。
遅効性を備えたみちしるべを灯す、
ここはひんやりとした精神と哀しみの塔。
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簡単問題解決箱。
お互いにほんのわずかのメリットが、じんわり芽生えはじめること、うけあいです。
「世間」と「物語」に負けない強さを。
胸に輝くは、自分だけの、ゴールデン・ルール。
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記憶力は悪いです。
当たり前に、短期記憶がかなり劣化してきてる実感があります。
「まぁこれはいいや」っていう判断が上手くなってる、ってことでもありますよね。
20歳くらいの時はセリエAの選手の名前かなりたくさん覚えてたし、映画に出てる脇役の人の名前も覚えてたりしますけど、今はもはや、主役の人の名前も知らないまま見終わってそのまま内容も忘れてたりする。
だけど、覚えたいものがあったりする時は、やはり「関連付け」が有効ですよね。そして物量。
大げさに言うわけじゃないですけど、「関連図書」、3冊も4冊も読むと、かぶってくるわけです、初心者ようにわかりやすく書いてくれてる書籍だと、同じ表現が何回も出てくる。そこに、その著者のくせ、考え方みたいなのがあると「この人はそっちから考えるのか…」みたいな、感情の流れが見える時があるんですね。
うまくそれが見えると、その部分は覚えてしまうような気がします。
今、鎌倉時代について書かれてる本を読んでるんですけど、歴史的な昔のことなので、確定している部分と、ここはもう動かしがたい史実、みたいな部分と、「ここはこうなんじゃないか」と推定が入る部分と、やっぱりいろいろあって、事実ベースは何回も何回も同じことが出てきて、その上に乗ってる「著者の考察」は、微妙に違ってたりする。
記憶したくないのに記憶力だけがどんどん優れていく…というのもなかなかしんどいでしょうし、まずは「覚えたい、そのための動機」のセッティングがどれくらい上手くいくか、が重要だと思います。
つまり「なんで記憶力が良くなりたいのか」を明確にするのが、コツかもしれませんね。