弥生の徳田です。
徳田弥生です。
弥生時代という名前は、現在の東京都文京区弥生にある向ヶ岡貝塚で新種の土器が発見されたことに端を発します。
とは言え、その土器が作られ、使われていた頃にはそれを「これは弥生土器だ」と思っている人は一人もおらず、「今は弥生時代である」と認識していた人も、誰もいませんでした。
今は「令和だ」と明確に認識できていて、記録にも残せるけれど、弥生時代の人が「そうは思ってなかったこと」のようなものは、現代にもあるはずです。
現代だからこそ、同時代を生きる者だからこそ、絶対に見えないレイヤーがある。
眼前の現象にだけ、惑わされがちな生活の中、「なんでそうなってるの」の解は検索すれば見つかる時代とは言え「どれを選ぶのが最短なのか」をこそ悩む時代。
選択するには、歴史があったほうがいい。
日夜不思議に思うなら、ご質問ください。
しんどい思いがあるのなら、ご相談ください。
遅効性を備えたみちしるべを灯す、
ここはひんやりとした精神と哀しみの塔。
「継続サポーター」にしか触れられない動画や音声には、なんらかの直接役立つ情報が紛れ込むこともあるでしょう。
簡単問題解決箱。
お互いにほんのわずかのメリットが、じんわり芽生えはじめること、うけあいです。
「世間」と「物語」に負けない強さを。
胸に輝くは、自分だけの、ゴールデン・ルール。
ギフトサポートする
継続サポートするとコメントを閲覧、投稿することができます。
苦手なの? 苦手なら見なきゃいいだけだと思いますけど。
「噛んだ!」を突っ込んで笑いを取ろうとする人が増えるのは、ツッコむと笑いになるから、です。
これは単に、需要と供給の問題だと思います。
求めてる人が、たくさんいるということです。
噛む、っていうのはうまく呂律が回らなかったり、間違ったりするということだけでなく、会話の中で、ちょっとしたアクセントになったりするんですよね。
ちゃんと言えなかったことへの指摘って、仲が良ければ、必ず笑い合えるポイントになるんです。
なのであなたが「噛んだことへの指摘が不快」だと思うのは、その当事者のたちことがそんなに好きじゃないから、なんです。
なので、見なきゃいいんです。
つまり、「増えてきた」と感じるほどに、範囲を広げてバラエティを見過ぎだってことですね。