「何を信じいいかわからない」とばかりは言っていられなくなると、
脳はすぐに切り替えて、「誰かを信じたい」に移行する。

「何を」は信じた自分に責任のすべてが乗っかってくるが、
「誰かを」なら発信したその人に、
発信の責任をかぶせることができるからだ。

どちらにしても
「信じたのは自分」だということは変わらないのに。

少し冷静に見つめていると、
「何を」にしても「誰かを」にしても、
「信じる自分」を信じている自分、がいるような気がしてくる。

情報には、確かなものと疑わしきものがある。
確かなものも、時間と新知見によって更新される。

10年前には正解だったものが、
現時点ではウソになっていたりする。

気分として、
「信じる自分」に間違いはないので、
「何を信じるか」「誰を信じるか」に集中してしまうが、
本当は、そんなやり方は危なっかしくてしょうがない。

「信じる自分」の他に、

「疑う自分」がいた方がいいのだ。

「何を信じるか」と同時進行で「何を疑うか」。
「誰を信じるか」と同時進行で「誰を疑うか」。

「誰も疑いたくない自分って素敵!」という強い強い自己愛が、
何かを信じ、誰かを信じた後「裏切られた!」というナイーブな恨みの感情を引き起こす。


ある程度、すべてを疑いながら、
部分的に信じていくことを推奨したい。

どんな言葉や現象があっても、
「こんなことが本気なわけがない」と一度疑ってみると、
そこに「おもしろみ」が立ち上がってくることがある。



「信じる自分」を疑いなく信じているということは、
とても危ういことなのだ。





眼前の現象に惑わされがちな日々の中で
「なぜこんなことに」の解は、
検索すれば見つかる時代。

とは言え
「どれを選ぶのが最短で最良なのか」をこそ、
悩む時代。

日夜、
不思議に思うならご質問ください。

しんどい思いがあるのなら、
ご相談ください。


遅効性を備えたみちしるべを灯す、
ここはひんやりとした、
精神と哀しみの塔。

「継続サポーター」にしか触れられない動画や音声には、
なんらかの直接役立つ情報が紛れ込むこともあるでしょう。

簡単・問題・解決箱。
お互いに、ほんのわずかのメリットが、
じんわり芽生えはじめること、うけあいです。

プロフィール

「何を信じいいかわからない」とばかりは言っていられなくなると、
脳はすぐに切り替えて、「誰かを信じたい」に移行する。

「何を」は信じた自分に責任のすべてが乗っかってくるが、
「誰かを」なら発信したその人に、
発信の責任をかぶせることができるからだ。

どちらにしても
「信じたのは自分」だということは変わらないのに。

少し冷静に見つめていると、
「何を」にしても「誰かを」にしても、
「信じる自分」を信じている自分、がいるような気がしてくる。

情報には、確かなものと疑わしきものがある。
確かなものも、時間と新知見によって更新される。

10年前には正解だったものが、
現時点ではウソになっていたりする。

気分として、
「信じる自分」に間違いはないので、
「何を信じるか」「誰を信じるか」に集中してしまうが、
本当は、そんなやり方は危なっかしくてしょうがない。

「信じる自分」の他に、

「疑う自分」がいた方がいいのだ。

「何を信じるか」と同時進行で「何を疑うか」。
「誰を信じるか」と同時進行で「誰を疑うか」。

「誰も疑いたくない自分って素敵!」という強い強い自己愛が、
何かを信じ、誰かを信じた後「裏切られた!」というナイーブな恨みの感情を引き起こす。


ある程度、すべてを疑いながら、
部分的に信じていくことを推奨したい。

どんな言葉や現象があっても、
「こんなことが本気なわけがない」と一度疑ってみると、
そこに「おもしろみ」が立ち上がってくることがある。



「信じる自分」を疑いなく信じているということは、
とても危ういことなのだ。





眼前の現象に惑わされがちな日々の中で
「なぜこんなことに」の解は、
検索すれば見つかる時代。

とは言え
「どれを選ぶのが最短で最良なのか」をこそ、
悩む時代。

日夜、
不思議に思うならご質問ください。

しんどい思いがあるのなら、
ご相談ください。


遅効性を備えたみちしるべを灯す、
ここはひんやりとした、
精神と哀しみの塔。

「継続サポーター」にしか触れられない動画や音声には、
なんらかの直接役立つ情報が紛れ込むこともあるでしょう。

簡単・問題・解決箱。
お互いに、ほんのわずかのメリットが、
じんわり芽生えはじめること、うけあいです。